自分の人生においてのHi-STANDARDとツネさん
誰かに読んでもらうというより、自分の気持ちを落ち着かせるために書き殴りたく書き始めているものですがご了承ください。
これまで色んな音楽に出会い、色んなバンドを好きになってきたけれど、
その根底のきっかけになったのはハイスタだった。
そして、ハイスタに出会って以後の人生において、自分の人生に幸福をもたらしてくれるのは全てハイスタが絡んでいた。
とはいえ、自分はハイスタが活動休止したAIR JAM2000の時は6歳だったので当時のハイスタは知らず、所謂”ハイスタ世代”ではない。
ハイスタを知ったのは2010年。
洋楽を中心に音楽に詳しい、自分より4つ年上の友達がいて、
その友達に「最近知ったストレイテナーとELLEGARDENってバンドが好き」と話したときに、オススメだと貸してくれたCDがlocofrankのrippleと、Ken YokoyamaのFourだった。
どっちも聴いてみたら良いな~と思ったので、そこから調べたらKen Yokoyamaは日系アメリカ人じゃなくて普通の日本人だってことと、昔はHi-STANDARDという人気バンドのメンバーだったということを知り、そっちも聴いてみようとTSUTAYAに行き借りたCDがHi-STANDARDのMAKING THE ROAD。
再生した瞬間、ありきたりな感想だけれど、全身に衝撃が走った。
Turning backからカッコいいという思ったまま、続く曲続く曲全部短いけれど全部かっこいい。その日だけでも何回も再生した。
そして、Ken BandのFourで似たような曲を聴いたわけだけれど、ハイスタの方が衝撃だった理由は、ドラムがかっこよかった。
ドンドコドンドコ、とにかく速いけれど速くてかっこいい!ではなく、アルバム通して似たような叩き方じゃなく、曲が続くごとに違うリズムの音が聴こえてくるのが好きだった。
今でもハイスタもKen Bandも好きだし、横山健という神様が好きなのはあるけれど、当時から自分がハイスタの曲で一番好きなのはツネさんのドラムの音だった。
当時Youtubeで調べると、それこそKen Bandが武道館でSTAY GOLDをやった映像だったり、FUJI ROCKだったかで難波さんがSTAY GOLDをやった映像だったりが見ることが出来たけれど、はっきり感じたのは自分がかっこいい!と思ったSTAY GOLDの音ではなかった。どっちの映像にもなかったのは、ツネさんのドラムだった。
ここから自分の話をすると、他のアルバムも全て借り、短期間でハイスタ沼にハマった僕は、当時中学を卒業して高校に入学する直前の出来事だったので、
中2の時に親にアコギを買ってもらっていたけれど、高校に行ったら軽音楽部に入ってハイスタがやりたいと思い、親にお願いしてこれまでのお年玉貯金を使い、何もわからなかったのでFenderのストラトを買い、高校入学と共に軽音楽部に入部。
幸いハイスタが好きなドラムを見つけ一緒にバンドを組むことに。
何もわからなかったので、とりあえず自分が弾ける曲ということで、ハイスタの曲はStanding Still、Just Rock、STAY GOLD、Dear My Friend、Close To Me、My First Kissをやっていたけれど、今振り返るとドラムのやつには相当無理させていたのでは?と申し訳なくなってくる。
そして当時はハイスタは再結成しておらず、文化祭で周りはバンプやらラッドやらモンパチやらやっている中、部活以外で学校に友達がいなかったマジガチの陰キャ(自分)がギターボーカルでみんなが知らない曲をやるものだから人気はなし(猛爆)
なのにハイスタが再結成したら他のバンドもSTAY GOLDをやり始め、最初にやったの俺らやぞという謎の気分になる(?)
高校卒業後、誘ってもらったバンドはオリジナルのハードコアバンドだったけれど正直あまり楽しい思い出はなく、
2年後に喧嘩をして脱退した後、その時一緒にライブしたことがあり、ハイスタが好きだという共通点で仲良くしていた他バンドのベースとドラムの人とで、一緒にスタジオで定期的にハイスタやろうという話になり、
そこでさらに仲良くなり結局バンドとしてオリジナルもやることになり、そのバンドをやっている時は前と一転して本当に楽しかった。
つまり、ハイスタにあの時出会っていなかったら高校で軽音部に入ることもなく、エレキに触ることもバンドを組むこともなかったかもしれない、本当に自分の人生に欠かせないバンドだった。
そしてそこまで自分を動かした音はKen Yokoyamaでもなく難波章浩ソロでもなく、ツネさんの音が入ったHi-STANDARDの音だった。
ハイスタを知ったときはもう再結成なんてしないバンドだろうと言われていたし、自分もBOOWYやTHE BLUE HEARTSと同じように自分は見ることがない伝説のバンドなんだろうと思っていたけれど、
2011年に再結成したときは本当に嬉しかったし、その後FAT WRECKEDで初めてハイスタを見たときには本当に感動した。
その時に感じた感情も、Ken YokoyamaやNAMBA69を見たときには得られなかった、間違いなくツネさんが入ったHi-STANDARDだからこその感情だった。感情が抑えられなくなりライブで自分がダイブしたのはこの時だけだった。
これは”ハイスタだから”というだけでなく、その後チャットモンチーで見た、ツネさんがドラムを叩くチャットモンチーでも、ハイスタを聴いているときと同じくらいのワクワクを感じたし(勿論クミコンのドラムも好きですが)、自分は本当にツネさんのドラムが好きだった。
5,6年前にテレ東のドキュメンタリー番組で『人生をグラウンド一周に例えるともう最終コーナーを回っているわけで』みたいな話をしていた時、そういえばこの人たちはスーパーマンに思うけれどよくよく考えれば健さんなんて自分の父と同い年だもんな~なんて思ったけれど、
こんな形で突然ツネさんがいなくなるなんて思ってもいなかった。
そして、こうしてよくミュージシャンが亡くなると『音楽は生き続ける』と言われるけれど、
自分にとってツネさんがいないことはそんな感情で片づけられるものでなく、ツネさんのいないハイスタはハイスタじゃないという感覚なので、自分の中では、これでハイスタは終わってしまったという喪失感もあり、ダブルで感情が追い付かなくなっている。
This is not a love song
It's a story of our time
Can't you see it's alright
I can see we're alright
Just another starting line
For you and me
活動再開したハイスタが、再開後初の新曲でこう歌ってくれた時、本当に嬉しくて涙が出た。
過去のバンドじゃない、今の新しいハイスタがもう一つのこれからの姿をずっと見せてくれると思っていた。
けれどもう今も昔も含め、自分が好きだったハイスタを見ることはできない。
でも、間違いなくハイスタは自分の人生だったし、ツネさんのドラムは自分の心が躍る音だった。
ツネさん、有難うございました。